パニック障害から森田療法へ

30代の頃パニック障害で悩みました。森田療法にであって元気になって、今は森田療法の自助グループやってます

体験談①

毎日書くぞ、というのもこだわりですよね。
なのでまあできたら毎日書きたい
という気持ちでやっていきたいと思います。
毎日娘の世話(といってもご飯作って、孫沐浴させるくらい)
教室もぼちぼち
母のとこに顔を出す。
畑と庭の草取り
その合間に手芸楽しんでいます。
そんなこんなであっという間に日が流れていきます。
こんなんでいいんやろうか、

突然ですが、私の体験談を書きたいと思います。
ちょっとずつ書いていきますね。

 私は地方の城下町でうまれました。両親は小さな町工場を営んでおり、貧しくても忙しく希望に満ち溢れた若い夫婦だったと思います。
 忙しい母にとって、手のかからないいい子だったと聞かされておりました。
 小学校時代は元気がよく、掃除をサボる男子に向かっていくような正義感いっぱいの学級委員長でした。
 遊びも野球をしたり、山の中でターザンごっこをしたりと男の子に混じって、楽しく遊んでいました。

 それが中学校に上がった頃には、転校、祖母の死、自分の病気が重なったせいかどうか・・・友達もいなくて、大人しい内向的な子供になっていました。
 勿論素質は充分あったと思います。
 
 父が人と話をするのを避けるような内向的でそれでいて、頑固な人でした。家族に話しかけるようなこともほとんどなく、私は父に拒否されているような気持ちで育ちました。

 高校大学と、勉強もしないのに、いい学校に行きたいという思いだけがあり、当然のように受験を失敗し、望んでいない学校に行きましたが、まあ努力してもいなかったので、挫折感を味わうという感じではありませんでした。
全て夢の中の出来事で、現実に向き合えない子だったと思います。

 大学を出て、就職結婚と、親の進める道を、しぶしぶと進みましたが、それも自分で選ぶことの怖さを避けた結果かなあと思います。

 結婚した相手は優しいスポーツマンで、自分とはまるで正反対の性格、理解しがたい所はありましたが、人間的にはとても尊敬できる人でした。

  続けて年子を授かり、夫との4人暮らし、忙しくて悩む暇もない毎日だったなあと思います。

 神経症になったのは下の子が4歳になった頃でした。(続く)