パニック障害から森田療法へ

30代の頃パニック障害で悩みました。森田療法にであって元気になって、今は森田療法の自助グループやってます

娘の出産

5月23日に娘が出産しました、2人目の子です

娘は31歳、

 遠く九州に嫁いでいます。

1人目は里帰り出産したのですが、2人目は嫁ぎ先で産むことにしました

理由はいろいろありました。

  1人目の時に子供が大きいので帝王切開を言い渡されたことに対して

お医者さんへの不信感が残ったこと、帝王切開への後悔

今回は夫にも新生児からの成長を見せたいこと

 上の子が夫の両親にとても懐いていること

そんなこんなで、九州で出産することにしたのです。

    そして、出産が近づいた頃通院していた産科で

羊水が多いので、大学病院に変わるように言われました。

その時には、なんら不安は抱いていませんでした

  娘が気にしていたのは、大学病院に変わると、食事が美味しくない

ということぐらいでした

  23日は朝8時半から手術開始ということで

前の帝王切開の経験から1時間もすれば連絡があるだろうと

待っていたのですが、昼頃になっても連絡がありませんでした。

どうしたのかなあと思っていると、娘から電話がありました。

  「お母さんには言っておくけど、赤ちゃんダウン症だった」

私は娘が何を言っているのかすぐには飲み込めなかった

   ほんと?と言った途端涙が溢れて、娘がかわいそう、かわいそう

これからどんな苦労をしなくてはならなくなるのか

女の子が生まれるって、あんなに楽しみにしていたのに

   それからすぐに娘のところへ駆けつけて、2人でいろいろな話をしました

2人で泣いたり笑ったり

気がついてみると、たった3日しか経っていないのに

もう何ヶ月も経ったような気がしました。

   何も思わず赤ちゃんの誕生を待っていたのが遠い昔のような気がしました

娘は、帝王切開を後悔して、なぜそんなことになったのか

と悩んでいたことを、もうどうでもいいことだったと思い

  私は、遠い娘のところへ新幹線と特急電車で行かなくてはならないことを

不安に感じていましたが、そんな不安はどうでもいいことだったと思い

2人とも変わってしまいました。

   娘は障害があってもこんなに我が子は可愛い、だから頑張る!と言い

娘婿も、彼のお母さんも、優しく力強く受け入れて下さって

そして私は、私自身がパニック障害になって良かった!と心から思っているように

いつか娘も、障害を持った娘が生まれてくれたことを感謝するようになると

確信しています。

  

今日は懇談会

いろいろなことがあって

お知らせをしそびれていました

今日は福山女性懇談会です

広島の平日女性懇談会の代表

森本さんをお招きして、お話を伺います。

場所は神辺のドルチェさんというお店です。

場所がわからない方のために

神辺公民館でもお待ちしています

11時からです

どうぞいらしてくださいね^_^

強くなりたい

昨日の懇談会、5人参加でした

あ、もう一人お子様も参加でした

おもちゃを持って行ってたので、役に立ちました(*´∇`*)

午前中は近況報告、自己紹介

2度目に来られた方から

やっぱりこれって気の持ちようなんですかね?

って言う質問がありました

気の持ちようだとも言えないことはないけど

だからといって、頭の中だけでそれを変えることはできない

もうひとつ、もっと強く図々しくなりたいです

って言う意見もありましたが

図々しくなりたくないのが私たちの本性です、

そして私たちは決して弱くはありません

森田療法の森田先生によると

神経症の人はこだわりも強く、症状を持ちながら病院巡りをしたり

決して意志薄弱でもなく

したたかな強さを持っている

症状を持ち続けることがだいたい、強い意志を持ってるんだって

ほめられてる?

だからそれを他へ向けるととんでもない力を発揮するということらしい

私たちは、症状の陰に隠れた

ほんとうの自分の望んでいることに気づくことができれば

大きな力を発揮することができるのです

回復にむかうには

 夫の部下の方がパニックで、出社が出来なくなり夫も悩んでいますが
色々話を伺ってみて
やっぱり自分が神経症だと認められないと治らないんだなとつくづく思います。

彼は、2年前にもパニック発作で出社出来なくなり3週間ほどで回復、そして今回は回復できないままひと月たっています。

 同じような体験した人と話してみませんか?と言ってみましたが

自分はそういう人と話をしたくない

と言うことでした。自分が神経症だと思う?と聞くと、そうは思えないと

 薬を飲んで発作が起きなくなったら出社できると思う。と言うことですが、それが前の時のように薬が効かない、どんどん薬が増えているということでした。

 いちど会社にものを取りに来たらしいのですが、そのときに、休んで迷惑かけていますの一言が無かったと夫は不満そうでした

イヤイヤ彼はそれどころではないから

と私は解説しました。

今にも倒れるのではないかとヒヤヒヤしているのよ、と言いましたが、そうは見えないこともよくわかります。

夫は、やっぱり理解できない、と、ため息です。

  彼が 自分は神経症なのだ、自分の体調に敏感になって悪循環になっているのだ

と気づくことができたら、回復にむかうと思うんだけどなあ、

夫が聞いてくれた

おはようございます(*^▽^*)
いい天気
久しぶりの爽やかな目覚めだったなあ
理由はきっと2つ
ひとつは、夜食べ物を軽く食べたこと
もうひとつは
パニックになって30年以上経つけど
初めて夫にその時の苦しかった気持ちを話せたことです
と言うか、聞いてもらえたこと

今までなぜ話せなかったかというと

パニックのきっかけに夫の父親が関係してたので、最初は夫に話すのが悪いと思っていました、でもその後夫の父親が亡くなり、私も回復してからその時のことを話そうとすると

どうしても義父が登場するわけで

そんな気配になると夫はもう亡くなった人のことを言ってくれるな、と頑として拒否するのでした。

今回どうして話そうと思ったかというと

夫が今会社でしんどい状況にあると言うことでそのつらさを聞いてあげないといけないなと思ったからです。

今まではお互いに抱えている辛さを話さないことか優しさみたいに思っていたけど

でも話すことが一番の癒やしになることは

私もつくづく経験してきたわけで

せっかくここに大人の信頼しあっている2人がいて

話し合えないなんて残念じゃないかと思ったわけです。

で、まず夫の話をじっくり聞きました、

その後私の辛かった当時のことを聞いてくれる?といったら最初は亡くなった人のことを言うなとまた言いましたが

義父のことはきっかけではあるが原因ではないよと、とにかく聞いてほしいといったら

わかった、と言うことで聞いてくれました、

夫は本当に当時のことを知らなかったのですね、私もなんで言わなかったのだろうと不思議なくらい

聞いてもらって本当にホッとしました。

でもね、理解はしてないよね

その後変に気を使ったりするから

いや、そういうことは私は気にしてない

って言ったりして

まあでも良かったなあと思っています

そのままで

雲の流れが速くて陽の光ががふと陰るように
何故か急に不安がよぎったり、ドキッとしたり、調子が悪くなったりするけど
知らんぷりしてたら過ぎて行ってくれます
それと同じ様にふと幸せな気持ちになったり、ワクワクしたりもあります。こちらも過ぎていってしまう、残念!

自分の気分ばかり見つめているから

こういうことが起こるのかな

イベントの前1ヶ月くらいは、自分に気を向ける暇がないから元気だったな

終わったとたん、自分の体調や気分に気持ちが向いて来るのです

だ、か、ら、

1ヶ月に1回イベントをすれば

ずっと元気でいられるかもしれない

あ、でも森田先生はごまかしてはいけない

と言っておられます

気分の変調に気持ちが行くのも

それはそのままでいいのだ

そして何かことが起こったら自分のこと忘れてる

それもまたそのままでいいのだ

すべてはそのままで

ただ淡々と生活をしていくのみ

脳神経外科へ

昨日の朝ゴミを出してもらおうと夫の車のトランクにゴミを入れようとして
蓋が頭に激突
今日になって痛みは引いてきたのですが
朝からクラクラが気になって
でもなかなか病院には行きにくいんですよ
きっとなにもないに決まってる
神経質に気にしてるだけやん
ってモウヒトリノ自分が言ってるし
ぐだぐだ悩んでたんだけど
自助グループの仲間に話して決心が付き脳外科に行ってきました
出血もなく大丈夫でしたが
頭痛がし始めたらまたきてね
と言われました
ジワジワ出血ということもあるのですね
でもすっきりしました
クラクラはありますが
気分は全然違う
行って良かったです
口では神経質はよい性格と言いながら
まだ私の中には
神経質は情けないみたいな気持ちがあるんだなあ
と気づきました