先日福山の神経症者の集まりに行ってきました。
広島からゲストが来られるので、是非参加したいと
母をショートステイに泊まってもらう手はずもしていました。
でも、2,3日前になって母が足を捻挫
ショートステイは中止。
さてどうしたものかと思っていましたが、
夫に頼んでエイッと出かけました。
今回初めてお会いした方ですが、ご自分のことでなくて
息子の心が知りたくて来ましたと言われる年配の女性の話が
印象に残りました。
その方自身は、私は何の悩みもない、人が自分をどう思うかなんて
ちっとも気にならない、と言われる方で
( 一同うらやまし〜〜とため息をついたのが可笑しかった)
考えてみれば、私たちはみな人が自分をどう思うかが気になってならない
それは承認欲求、承認されないのではないかという不安。
承認されなければ生きていけないとまで思う人もいる。
ところが、その方は、人の思惑などちっとも気にならないというのです
ご両親のことなどいろいろ話されましたが、両親そろってとても愛情深く育てられた
特にお父様はそれは細やかな愛情を注がれたようで、それは言葉にも態度にも
しっかりと現れていたようで、具体的な話を聞いても
素晴らしいご両親だなあと感心しました。
そしてご本人は仕事も定年まで勤めあげられ、今は悠々自適
ところが唯一の気がかりは子供さんのことなのです
もう中年の男性なのですが、仕事をせず、母親を拒否して知り合いの家に居候している
強迫神経症でもある
こんな自分になったのは母親のせいだというのです。
そういうことを言うようではだめだと思うとお母さんであるその方も言われました。
大体神経症であるという人は、贅沢すぎるのだと思う、一生懸命忙しく生きていれば
神経症にはならないと思うとも言われました。
まあ、そうかもしれませんねえ、考える暇もないほど忙しくしていれば
自分の症状は忘れています。まあでも、24時間それでは過労死しますからね
私はその息子さんにとても親近感を覚えました。
理屈はあるのです、理想もある、でも体験が不足している人との関わりが薄いのです
現実と理想が分離しているのです
努力はしない、たぶん。
最近感じています、神経症を乗り越えるには
1 今のありのままの自分を認めてやること
情けない自分の姿をそのまま許す
2 自分の夢をはっきりさせること
自分が本当は何を望んでいるのか、何をしたいのかを自覚する
3 そして、それに向かって努力をすること
私は、1番はできるようになったと思っています
2番もだんだんにはっきりしてきました
でも、3番が全くダメです、空いた時間があればふらふらと出かけてしまいます
するべき家事も最低限です
努力はつらいものですよね、私は考えてみれば、今まで努力をした経験がありません
いやいや仕事をしたことはありますが、自分の目的に向かって努力をする
という経験はないのです
もういい年なんですけどね
考えてみたいと思います。