パニック障害から森田療法へ

30代の頃パニック障害で悩みました。森田療法にであって元気になって、今は森田療法の自助グループやってます

体験談②

大阪の団地住まいのその頃私は生協の委員をやってて、
 年子の小さな子を抱えて、家事ほったらかしで走り回っておりました。家の中散らかり放題。でも食べ物とか、親子劇場で子供に楽しい経験をさせる、とかは気を使っていました。

 ある日、生協の委員で琵琶湖の水を見に行こうという催しが開かれまして、朝早く子供を友人に預け、自分はご飯を食べるまもなく出かけました。
電車とバスで琵琶湖を見学・・・昼ごろにはすっかり車酔いして、ご飯も食べられず、帰りの電車では青い顔で横になっておりました。
 そんなことがあってしばらくして、夫の実家と私の実家の間で、ちょっとしたトラブルがあり、夫の父親の電話が頻繁にかかってくるようになりました。
実家には直接文句は言えないので、私から言ってほしいのか、私に不満をぶつけてるのか・・・・最初は聞き流せばいいと思っていました。私は少々のことでは動じない人間なんだと自分では思っていましたので、それがだんだんに聞き流せなくなってきて、電話のなる音に、びくつくようになってきました。

 そうこうしてるうちに、年末になり、夫の実家に帰省することになりました。夫は仕事があるので、一足先に新幹線で子供と帰るのが恒例になっていましたので、そのつもりで、2人の幼い子を連れて、電車で出かけましたが、一駅乗っては気分が悪くなり、倒れそうになり、降りて、ベンチで横になるという状況でした。

 その時の子供の気持ちを思うと、今でも涙が出そうになります。なんと不安だったことでしょうね。特に上の子は心配してたことと思います。

 何時間もかかって、やっと新幹線の新大阪駅まで着いたのですが、もうこれ以上は動けないという状態になり、救護所で休ませてもらいました。
そして、大阪に住んでた夫の姉に来てもらいました。
この後私は実家に帰るのですが、どうやって帰ったのか、覚えてないんですよね。
子供達は夫の実家が預かることになりました。

 これが私の神経症の始まりです。
  その後どんどんいろいろなことが出来なくなっていくのですが、
  続きはまた・・・